抽斗の釘

小説、散文、文章、短編

仰向けの世界

  彼は勤めの帰路の電車、乗合せた同僚と鬱病について話した。

  彼も同僚も然る病の治療中で、服用する薬や副作用について和やかに話した。

  車両は動き出し、二人は肩を並べ座席に着いた。ゴトゴトと鈍行は夕刻の街を抜けて行く。

  話すと二人の治療薬は異なったし、同僚は不眠に悩み、彼は過眠であった。

  会話は、堕ちていく夕日の中、一日が終わった疲れと安堵の車内に、緩やかに広がる。

  同僚は深夜に悶え苦しみ、彼は早朝に頭を抱えのたうち回った。

  窓から注ぐ斜陽は、乗客の体を温めた。定型のアナウンスが、乗客の日常を確かめた。

  同僚は今後の生き方に悩んでいた。死ぬまでの間にどうやって自身の理想を叶えるか。

  彼は現在の生き方に苦しんでいた。死ぬまでの間に何を成し、その為の今は何なのか。

  同僚はベッドの中、仰向けに手を合わせ、天井の神に願った。どうか寝かせてくれと。

  彼はベッドの中、仰向けに見る天井から、百足が落ち体を這う、浅い夢に何度も起きた。

  鈍行は尚も乗客とその日常を運ぶ。二人は共感と差異に笑いあった。ゴトゴトと揺れる。

  同僚の最寄りに到着し、二人は別れを告げた。車両はまた、ゆっくりと動き出す。

  彼はふと周りを見渡した。其処が優先座席で、彼の他は背の丸い老人ばかりであった。

  彼は窓に頭を任せ、車内の天井を仰いだ。

  夕日に染まる丸い吊革が、ゆらゆらと、掛かる主人を待つように揺れていた。