抽斗の釘

小説、散文、文章、短編

蜂の飛行高度

 

 蜂が背から、耳の縁を通っていく。

 そのたびに僕は首を縮めて、目の横に映った黒い影が遠くへ行くのを見届ける。

 その間ひと時暑さを忘れ、そして次第に彼らを憎む。

 それは毎年のように経験することだった。

 ──虫の飛行する音が今でも苦手だ。

 とりわけ甲虫系の羽音。中でも蜂の羽音。

 あの小型扇風機のような音が聞こえるたびに、奴らはどこに潜むのだろうと探してしまう。近頃そんな季節になった。

 羽音がすれば当然、彼らはそこにいるのだ。生垣の隙間、低木の縁、軒の裏。

 僕は彼らの動きに注意する。彼らは前足や頭を熱心に動かして何かをしている。いつも、何かをしている。

 加えて迷惑なことに、彼らは好奇心や警戒心が強い。

 こちらは用などないのに、彼らは決まって断りもなく近づいてくる。すぐ去れば何も言わないが、どうかすれば僕の頭や体の周りを回って調べたりする。

 彼らの多くはこれが生まれて初めての季節だ。好奇心が強いのは仕方がないと思う。仕方がない一方で、彼らは彼らを嫌う者を感知する、そんな器官をもつのではとさえ思う。

 彼らは背後からなんの予兆もなしに飛んできて、わざと耳のそばを通ったりする。そのたびに僕は肩をすくめて、体を強張らせ、時にはいきおいあまって首を痛めることもあるし、外を歩いているのだからそんな僕の奇怪な動きを周囲に晒すことにもなる。僕は恥ずかしい。彼らはそれを楽しんでいるのではとさえ思う。

 もし幽霊が臆病な人の前に限って現れるなら、蜂もそうだと僕は思う。彼らは半ば怖がる僕のような人を驚かせるために現れるのだろう。

 つまり、彼らを怖がらなければ、彼らの方も面白くないはずだ。

 一度、蜂が平気な人を見たことがある。それは野外の森林に囲まれた会場で、小型のスズメバチが一匹、テント屋根の中に入ってきた。

 多くの人は怖がってその場から離れたが、その人は逃げなかった。そして蜂はなぜかその人の太ももに止まった。やはり、人を驚かせることを目標にしているのだろうと僕は確信した。しかしその人は身動き一つしなかった。

「こっちが何もしなければ、蜂も何もしてこない」

そう言ってその人は笑っていた。その人の言う通り、蜂は少しの間彼の太ももを調べると、何事もなく外へ飛んで行ってしまった。僕は瞬時に彼を尊敬した。自然と付き合うとはこういうことだと思った。つまり蜂を見るとすぐ刺される、と恐怖するのは、いかにも自然に対し自意識過剰なことなのだ。自然は危害のない人を攻撃するほど、そんなに暇じゃない。ただ時々、面白がって寄ってくるのだ。

 しかしそんなふうに思い込もうとしても、蜂の恐怖を拭い去ることは容易ではない。

 というのは、人がアシナガバチに刺される場面を幾度か見たことがあるためだ。

 その多くは細い雑草道を通った時だった。大方巣が近くにあったのだろう。刺された人の患部を冷やすさまを見るたびに、僕は改めて蜂が怖くなった。

 人々は、蜂に生涯2度刺されるとアレルギーで死ぬと言って僕をおびやかす。長い人生で毎年のように蜂に出会うのだから、2度ぐらいすぐだと思う。

 僕はこれまで一度も蜂に刺されたことがない。なのに、もう生命の危機を感じている。死という誘惑を持ちながら滑稽だろう。僕は結局、辞世というものにどこかファンタジーを描いているに過ぎないのだ。死とはつまり、蜂に耳の傍を飛び回られ、その恐怖に耐えながら2度刺されるのを待つ、くらいに恐ろしいことである。ということを、しっかりと心にとめ確認しなければならない。

 とすると、死の恐怖が夏の空を飛んでいる、とも例えられるような気がする。しかもそれは羽音を上げてやってくるのだから、怪談のような演出付きだ。中でも耳朶に響くのがクマバチのもの。彼らの羽音は力強い。

 そんなクマバチに刺されたという幼児の話を聞いたことがある。

 僕がまだ小学生ぐらいのことで、夏休みに母の古い友人が遊びに来た。

 母の友人には幼稚園児の息子がいた。彼は大の虫好きで、虫を収集する趣味があるらしい。だから虫を見つけると必ず追い、捕まえに行くのだという。それはクマバチも例外ではなかったようだ。

 道に飛んでいるクマバチを見つけて、それを捕まえようとしたらしい。しつこくかまいにいって、案の定刺されてしまった。幸い大ごとにはならずに済んだらしい。

 僕はその話を聞いて、小学生ながらにぞっとした。きっとあの黒くて存在感のある塊を握ったに違いない。その感触は柔らかくてふわふわして、そして少し硬いのだろう。あの羽音だから、羽ばたく力も強いのだろう。手中でバタバタと強い羽ばたきを感じるのだろう。そして手のひらにちくりと痛みが走る。きっと痛いだろう。泣いただろう。

 しかし大人になって、クマバチは温厚だという話を聞いた。ミツバチの大きなものと言われれば、その温厚さが想像できる。

 そして針を持つのはメスだけらしい。藤棚やハナミズキに群がっているのがそれで、一方オスはというと、よく上空にホバリングしているのがそれだそうだ。なぜホバリングしているのかというと、通りがかるメスを待っているらしい。オスは針を持たない。メスと交尾することだけが能らしい。だからよく道の上で羽音を鳴らしながら停止しているのは、警戒しているわけでも威嚇しているわけでもない。メスをただ待っているのだ。

 時にはそんなオスのクマバチが、首筋に降りてくるときがある。あれはどうやら動くものをなんでもメスだと期待して見に来ているらしい。もしくはほかのオスだと思って縄張りを主張するのだ。彼らは視力がとても弱い。ツバメを追うクマバチを見たことがある。きっと奴は食われただろう。

 だから近づいてくるクマバチにおびえる必要はない。針もないし戦う力もない。メスは針を持つが、どうやら温厚らしい。それは、他の蜂の多くは集団生活で、巣を守る役割がある一方、クマバチは単独行動らしい。巣を守る必要もあるときはあるが、何より自分が無事ならばよいのだ。だから無闇に戦わない。

 しかしそんな知識を得たとしても、やはり僕はあの羽音を聞くと、首を縮ませずにはいられない。わかっていてもだめなのだ。それは僕の幼少からずっとそうだった。

 怖い理由は昔から分からない。母の友人の息子のように、無知であるがゆえに怖いもの知らずでもなかった。知っても知らなくっても怖いのだ。

 怖いという思いとともに、クマバチの羽音を聞いて思い出すことがある。父方の祖母だった。

 祖母は僕が十代のころに他界してしまった。記憶の面影だけでも、上品な女性だったと覚えている。背が高く、すっとたたずみ、花の刺繍が入ったブラウスを着ていた印象が強い。いつもお香の香りがした。骨ばった手は太い血管が浮き出ている。ほら、と言ってその血管を見せてくれた。手や腕の皮膚は力なくたわみ、柔く薄いゆえのやさしさがあった。老年は髪染めをやめて美しい白髪だった。いたずら好きで茶目っ気があった。どこで入手したのか、ひょっとこのお面を被って、帰宅した僕を驚かせたりした。遊んで帰りが遅くなった僕に夕飯は食べてしまったと嘘をついたりした。

 僕が幼少の頃、一度祖母と買い物かなにかでふたりで出かけていた帰りのことである。

 夏の日で、祖母は日傘をさしていた。今はもう廃園となった、幼稚園の脇を通っていたときのこと。そこは短い桜並木だった。

 道の片側は車道で、もう片側から桜の木が枝を伸ばし、道に木陰を降ろしている。

 そこにクマバチが飛んでいた。例のホバリングだった。そして桜の枝があるから、ずいぶん低いところを浮遊していた。

 僕は当然怖がった。きっかけを与えればすぐ顔の前に飛んで来られる距離であるし、クマバチの方もそんな僕を察してか、心なしか行くぞ、行くぞと身構えている気だってしてくる。

 僕はきっと泣き顔を浮かべていただろう。別の道を行こうと訴えたかもしれない。

 しかし暑い日のことであるし、祖母は汗っかきだった。わざわざ遠回りして帰るという面倒なことはしなかった。祖母はきっと僕を弱虫だなと思ったに違いない。祖母は困ると笑うを両方顔に浮かべていたと思う。

 すると祖母は怖気づく僕を見かね、あの血管の浮いた柔らかい手で僕を腰に寄せると、さっと日傘を傾けてくれた。

 日傘は僕の視界を隠した。風景は陰り、クマバチは見えなくなった。クマバチもきっと、僕が見えなくなったはずだった。僕とクマバチの間にシェルターが生まれた。

 そうやって、僕と祖母はクマバチの下を潜り抜けた。日傘の思いもしない用途に、幼い僕は幾らか感動したはずだ。クマバチを力づくで追い払うこともなければ、僕らが逃げる必要もない。ただそっと穏やかに、間に何かをいれてやれば、脅威も思っているほど大したものではないのだ。

 年の甲だと言えばそれまでだが、大げさに言えば物事との付き合い方を教わった気がする。そしてそれが奥ゆかしく思えた。僕はそれに感動したのだろう。今もそんなささやかな所作を覚えているのだから。

 そんな感動があったから、今でもクマバチを見ると自然と祖母を思い出す。

 そしてクマバチが嫌いな自分も同時に思い出すのだ。

 実は祖母の命日も回忌も覚えていない。僕にとってはクマバチの季節が、祖母の命日のようなものであった。

 話は少し逸れるがあることを僧侶から聞いた。

 死者の魂は、人の頭の少し上を移動するらしい。そしてそこから娑婆を眺めるのだとか。

 それはちょうど、蜂の飛行高度のあたりではないだろうか。 (了)