抽斗の釘

小説、散文、文章、短編

2023-01-01から1年間の記事一覧

夕飯の支度が済み、夫の帰りを待つ間にリンゴを切っておこうと思った。 包丁を入れ実を割ると、種と芯の部分に白い綿のようなものが生えていた。黴である。しかし今からスーパーに戻って交換を頼む気にもなれない。包んでいたビニール袋に手早く戻し、口をき…

歌声

霧雨の向こうから水銀のひと塊が音もなくすり抜けてくる。 山間の車道をなめらかになぞりながら、それはやがて新緑の下へと滑り込んだ。そのさい梢が傘となって霧雨が途切れ、水銀は正体をあらわした。旧型のマーチボレロである。 ボレロは濡れて光るアスフ…

銀河

女の乳首を間近で見て、その形がまるで銀河のようだと思った。 思い描くは光の粒が形作る楕円形の集合、その中心には大きな核がある。彼女の乳首はそれとよく似る。 天也はほんの瞬間、そのように意識を彼方に巡らせたが、撫でる彼女の指先にはっと引き戻さ…

水鳥

夕暮れの鉄橋を電車が走り抜けていく。 落陽は西空から車両の脇腹を照らし、銀の車体や薄緑の橋の支柱、そして河川の水面なども所々白く瞬いていた。 その斜光は車窓からも入り、乗客の顔や胸を一様に杏色へと変えていた。ただ、年末のことであるから車内の…