抽斗の釘

小説、散文、文章、短編

シュガーアンドバター

  自分の性格や趣向を人に伝えるのは難しい。自分は繊細だから勘弁して欲しいという甘えと、自分は強靭だから尊重してほしいという甘えが同居している。いざ人に伝えようとすると、どちらも前に出ては退き、モゴモゴと口が閉じる。指針も指針で、わたしの理想はあるのだけど、現実はこうだよと突きつけられるのが恐ろしい。それが現実の一部で、経験の一部だからだ。説得力があるし、自信がある。全てのケースではないにしろ、わたしが愚かな人にされるのが、馬鹿らしいが堪え難い。わたしには胸を張る自信もない。結局は、同じ水槽の魚なのだけど、わたしには、うまく空気を吸えるか分からない。水面に浮く死体が見える。

  人の脳はリスクを回避する。本能的に保守となる。当然、変化は短期的なリスクを生むし、短期の連続が長期となる。変化を恐れるのがリスクだ、という提唱も、死体にすれば食えない餅だ。人は利己的に優しい。しかし全てがそうではない。だから、芯が弱い者は、色々な力に耐えられず負けて、細かく折れて粉になる。

  こっちがイチゴで、こっちがシュガーアンドバター。と、あの子が笑顔で細長い焼き菓子をくれた。胃が、気持ち悪いし、車酔いのように頭がクラクラとする。体調のすこぶる悪いわたしを他所に、あの子はお裾分けです、と笑顔なのだ。イチゴが同性愛なら、シュガーアンドバターは異性愛だ、と理屈のない分別をする。どちらも同じ事なのだ。

  わたしは食べもせず、シュガーアンドバターのまろやかな風味を、口の中で思い浮かべた。言うまでもなく、わたしは脆い。パキパキと、折れていく。しかし、せめて、粉でも甘くありたいと思った。不格好でも愛おしく、舐めてくれれば幸せだ。唾液に染みて、愛されたい。脳まで届いて、惑わしたい。