抽斗の釘

小説、散文、文章、短編

もうやめて

 

 悪寒と共にくしゃみが出た。

 ひどいくしゃみで、痛みと共にティッシュには黒い血粒が付いた。

 翌日には発熱で、一日中布団にいた。

 その熱が少しだけ弱まったころ、これはいけないと総合病院に連絡をとり、熱が引いた翌日に検査、またその翌日には陰性という結果をもらった。

 そのまま最寄りの耳鼻科に電話をした。

 この時にはもう熱の上がることはなかったが、鼻や目の周りの重たさ、関節痛、悪寒、冷や汗は依然として残っていた。油断すればどうかするともうひと波、病としても火事場の馬鹿力か、灯滅せんとして光を増すか、ともかく彼らの報復が起こりそうな気配がある。

 幸い、耳鼻科はその日の診察時間を過ぎたところに、ひとつ席をとってくれた。ありがたかった。

 僕は車を運転し、耳鼻科へ向かった。雨が続いたあとの、少し冷える午後のことだった。

 

 その日は世間的に休日であったが混んではいなかった。診察時間を越えているためだろう。

 待合には大人が3人ほど、入ってきた僕に目も向けず、皆俯くなどして長椅子に掛けていた。

 受付を済ませると、僕も彼らと同様、空いていた一番後ろの席に座った。

 その背に窓があって、換気のために開けてあった。レースのカーテンが風にゆらゆらと動いている。僕はそれを首筋に受けながら、うっとうしいがじっと我慢した。その席が空いていたのはそのためだろう。

 数分と経たないうちに帰りたくなった。カーテンが絶えず僕にちょっかいを掛ける。

 布団が恋しい。やはり出てきたのは失敗だった。そう悔やむ自分の背へは、製氷のしずくを落とされるような作為的な寒気があった。窓風のせいかもしれない。僕はできるだけ背中を丸め、それ以上体熱が出ていかないよう努めた。

 診察は願うほどスムーズにはいかない。十数分と待っても、待合に動きは起きない。

 停頓したところ、やがて僕は待合の彼らすべてが子供連れであることに気がついた。

 パーテーションで区切られた4畳半ほどの玩具スペースがある。幼児がふたり、そこで遊んでいる。加えて小学生らしい女の子がトイレから出てきた。女の子は親らしい女性のそばに、僕から隠れるようにして座った。

 加えて数分もすると、あとからまた子連れが、3組も新しく訪れた。

 けっきょく待合に居る人々は、やはり僕以外すべてが親子だった。

 途端に騒がしくなった。増えた子供はそれぞれ、親にくっついてひそひそ話をしたり、玩具スペースに参入したりした。積み木の崩れる音が、絶えず続いていた。

 僕は首を伸ばした。受付の奥に治療室が筒抜けに見える。先生の眼鏡と、患者の後頭部が見える。診察は悠長なように思えた。

 僕の苦しむ顔が面白いのだろう。前の長椅子の背から、ひとりの男の子が僕を盗み見しているのと目が合った。そして合ったとわかるとさっと頭を隠した。

 好奇心の強い多くの子供がよくそうするように、散切り頭は再び背から覗き、僕を盗み見た。そして目が合うとまた引っ込め、また覗き見て、隠れて、見て、そして無邪気な微笑みを浮かべる、という様子だった。

 遊びだと分かると僕もやぶさかではないから、寒気も忘れて、手の甲や文庫本で顔を隠し、「いないいないばあ」の要領で付き合うと、数回もやらないうちに勝手に向こうが飽きて止めてしまう。だから僕は幾度か、ひょうきんにした顔を、なさけなくも受付の女性に晒すことになった。それも慣れたものなのか、受付の女性は冷淡にもすっと顔を下げ、作業を続けた。

 その冷淡な頭の後ろから、治療室の子供の叫び声が上がった。同時に母親や看護師、先生の笑い声が上がる。子供とっては辛いひと時だろう。見知らぬ白衣の老人から、意味もわからず鼻に管を入れられるのだ。そしてそれを笑われる。

 僕はいよいよ真剣に帰りたくなった。

 和やかなのは結構だが、笑い声に待っているのは煩わしい。子供などに遠慮せず、力づくにでもさっさと器具をその鼻に差し込んで処置を終えてしまえと思った。

 僕は苛々とした。どうも、自分の番まで長く掛かりそうなので帰りますと、幾度も申し出ようと思った。

 しかし背骨の寒気が、帰るにしてもそれ以上の活動を拒んでいた。程度を越えると、身体のどこかにある、ブレーカーのような開閉器が落ちてしまいそうな気がした。

 暑くはないのだが、汗で額が湿った。視界の中の様々な輪郭がゆるんだ。首筋にまで汗が垂れた。と思いそこに触れると、首筋はカサカサに乾燥していた。

 鼻の奥が重い。咽頭に濡れた鉛筆の削りカスを詰められたような心地だった。そこに苔だとか黴だとかが生えていそうな病的な異物感があった。

 一段と強い叫び声が上がった。

 治療は佳境を迎えているらしい。

 声の方にまた首を伸ばしてみれば、治療台に看護衣の後ろ肩が見えた。どうやら座る看護師の上に、叫び声の主が乗せられているらしい。看護師の肩から栗皮色の後頭部が揺れて見える。後ろから羽交い締めにされているらしい。僕の願いがいくらか通ったのだ。

 言葉にならない叫びが続いた。いかにも子供らしい危機への反応だった。

 そのなかで、ふと通るようにして、少なくとも僕には、院内に響くようにして彼の言葉が聞こえた。

「もうやめて。もうやめて。」

僕はそれを聞いて盗み笑いをせずにいられなかった。

 それは、おおよそ子供が使うような響きには聞こえなかった。簡単な単語、例えばイヤ、でも、ヤダ、でもない。

「もうやめて。」それが随分おとなびた調子で聞こえたのだ。

 もう、やめて。

 僕は頭の中でその言葉を反復した。

 もう、とつけるのは、真摯に、切に嫌なのだろう。それでも医者は止めないのだろう。

 僕は彼らの背を眺め続けた。母親は?

 母親らしき女性は、赤子を抱えて診察台のそばに、微笑みながら揺れていた。看護師はついに3人がかりで子供を取り押さえている。

 子供の声はすぐ、意味を持たない叫びに戻った。子供が必死なうちに用いた「もう」は通じなかったのだ。

 僕は「もう」という言葉を考えた。程度を越えた時の、それは言い得ない感情のうったえだ。続いてその「もう」を使う場面を考えた。やはり切迫し、懇願するときに使うだろうと思った。それはやはり言葉にならない感情の乞いなのだろう。もう限界です。もう歩けません。もう無理です。もうやめて。もう、もう、もう。

 

 やがて治療を終え、母親と子供は診察室から待合に戻ってきた。

 子供は随分ほっとした顔をしているのだろう。僕はそんな顔を期待して待っていた。しかし実際の彼の顔は、随分不機嫌そうなものだった。

 そうか、と僕は思った。終えてさっぱり安心するのではなく、怒るのか。僕はそんな意外な感動に彼の顔を眺め続けた。

 待合のしっかりした長椅子は患者で埋まっている。母親は柱に置かれた古い籐の椅子に座ると、膝がしらにその子と向き合った。

 男の子はというと母親を鋭い目で睨みあげ、じっとその場に立ち尽くしている。そして触れようと伸ばされる母の手を避け、身体を左右に振り回し不服を訴えた。

 そうか、と、僕は再度思った。

 彼は先生でも看護師でもなく、「もうやめて」と懇願しても助けなかった、母に怒ったのだ。

 男の子は母の腕を弾くと、その手で数回、母の膝をいかにも弱弱しく叩いて見せた。

 それでも母親は笑い、腕で彼の頭を引き寄せ包むと、その膝の間に彼を取り込んでしまった。

 男の子はそれから抵抗する様子もなく、なされるまま頭を母親の腹にこすりつけた。母親はその頭をゆっくりと撫でている。

 それから男の子はじっくりと母の腹を味わい、やがてうずめる顔を反転させ、抱かれながらその面を周囲に晒した。

 それは不機嫌なままの、鋭い顔だった。そして僕と目が合う。

 僕は例によって彼も笑わせるべく微笑んで見せた。しかし彼はさらに目をきっと細め、鋭く僕を睨み返した。

 そこには他の子供たちにあったような、大人に対する恐怖も、未知の者に対する羞恥も遠慮もない。隠れることも、止めることもしない。彼はただ僕を睨んだ。

 僕は彼の睨みを受けながらいろいろと考えた。

「僕は何も悪くないじゃないか」

そう諭しもしたい。しかし彼は耳も貸さないだろう。彼の「もう」は治療台で失われたのだ。かわりに世間への敵意が残ったのだ。彼にとって見知らぬ僕は、見知らぬ世間の悪意だった。しかし本当の彼の心はもうわからない。ただ彼の鋭い目が僕に注がれ続けた。

 次の患者が呼ばれた。僕の番はもっと後だろう。僕の治療はずっと後だろう。

 窓から風が吹いた。ひとりの背が冷える。背が寒い。 了